感じたことを感じたまま さくっと読める 短文投稿ブログ

主に読書、仕事、家庭、育児について書きたいと思います

人生のステージにより役割分担がある

社会全体として、年齢や経験により目に見えないステージがあって、それぞれ役割があるように思います

見も心も成長する子供の時期

この時期には好き嫌いがはっきりしており

合うもの合わないもの

大枠で生きていく方向を決める

 

社会に出てすぐは

周りから真似び(学び)、守破離で成長するじき

 

数年たつと年の近い後輩に教え伝える時期

このときは自分の経験や思いがに関する記憶が新鮮なので、生の情報として伝えることか可能で

また、上役の見ている景色が少しわかるようになっているので、後輩にバックグラウンドを噛み砕いて説明する通訳の働きができる

 

このころ同時期に親になる

周りの後輩や自分より年下の人が我が子の将来の姿に見えるようになり

遠回りや嫌な思いをしないですむように

おれやこれや近視眼的に伝えたくなる

見方によっては説教臭くなる

 

少し子供が大きくなって手が離れると、

我が子がお世話になっている地域へ貢献し、自分も地域というレベルで子供たちの役に立つという視点をもつ

このころ、初めましての仕事はほぼなくなり

経験を生かしながら余力を持って事を進められる

 

子供も社会に出て、自分の手から離れたら

仕事と地域から

親の介護の本格化、妻との二人の時間の価値が高くなる

生きていくには困らない程度のお金と、

病気とは薬に便りながらうまく付き合う

ほどほどの健康で充実と自由を実感する

 

そうこうしていると

孫が生まれこんなにかわいいものなのか

と幸せの絶頂を感じる

そして、赤ちゃんの日々の成長速度にただただ驚く

 

時間があるため

これいじょうの成長もないだろうと思いながらも図書館などで読書しのんびりとした時間を過ごし

妻とのんびりしゃべりながら健康のために散歩

このころには夫婦も独立した存在となり

それぞれやりたいことをやりたいように

やりたいタイミングで行い

一人じゃ出来ないことをフォローしあって生きている

 

そして、家族に囲まれながら静かに息を引き取る

ただしこの時代には

再生医療などの発達、人体や脳の機械による代替が可能となり

殺人による救命不能状態による死

バックアップされた人格を同一人物と考えるか、という認識の問題を除き

先進国で病気や寿命で死ぬことはなくなる

そのためこの時代のピンピンコロリは精神的に満ち足りた人間が

自分の役割を終え、次世代に託し

自分を生 から解放するためのものとして

いかようにして死ぬかを考えた結果、受け入れた死

であり

 

現代の人間が認識している死とは

全く別物である